新宿~小田原60分は実現可能なのか(1)

 みなさんこんにちは。さて、本日は小田急のダイヤ考察をしてみたいと思います。

 小田急の歴史は古く、1927年に開通した小田急小田原線は今年でちょうど90年を迎えます。そんな小田急ですが、1948年から2017年現在まで実現していない、ある「悲願」をご存知でしょうか。 

1. 新宿~小田原を60分で結べ

 小田急小田原線は、世界一の乗降客数を誇ると言われている新宿駅を起点とし、町田や本厚木などの主要都市を通り、小田原駅まで向かう路線の名称です。いわゆる「小田急線」と言うとこの路線を思い浮かべる人が多いでしょう。この小田原線は全部で82.5kmと、首都圏の私鉄では比較的長距離であり、また終点の小田原駅が、箱根や熱海などの観光地の玄関口となっていることから、通勤路線としてだけでなく観光路線としての側面も持っています。

 1948年、かつての大東急時代(小田急をはじめ、京王や京急などが東急のものとなっていた時代)が崩壊し、小田急が分離発足されました。そして、将来的な目標として、当時90分程度かかっていた新宿小田原間を60分で結ぶことを目指すこととなります。ただし、新宿小田原間を60分で結ぶためには平均82.5km/hで走らなくてはなりません。そこで、小田急は超高性能な特急車両の開発を目指します。そして1957年に完成した車両、それが小田急3000形(SE車)です。SE車は、電車の概念を変える流線型車両として開発され、当時の狭軌鉄道では最速となる145km/h走行を達成しました。(この成功が新幹線を生み出したとも言われています。)これにより、新宿小田原間は地道なスピードアップを重ね、1957年の完成当初は75分を要していましたが、4年後の1961年には64分まで短縮されました。

 地道なスピードアップの裏で箱根観光にも力を入れていた小田急ですが、観光客の増加に伴い、ついに特急車両の不足に陥ってしまうようになります。そこで1963年、小田急はさらに高性能な特急車両、小田急3100形(NSE車)を開発しました。このNSE車、机上では170km/hまで出せるというかなりのオーバースペック車両として開発されました(小田急小田原線では110km/hまでしか出すことはできません。どこで170km/h出すんだこいつ)。さてさて、このすごい特急車両により、1963年、新宿小田原間は目標まであと2分である、62分まで短縮されました。

 ここまでの経緯をまとめると、当初90分程度かかっていた新宿小田原間が、

  1957年・・・75分

  1961年・・・64分

  1963年・・・62分

 となっていきます。もうこれ60分の目標は楽勝でしょwwwって感じしません?

2. 所要時間増えてるよぉ…

 線路あるところに人が集まるのは世の常です。1960年代の日本は人口急増中であり、都心のベッドタウンとして、小田急沿線においては多くの都市開発が行われました。その結果、沿線人口も小田急利用者も右肩上がりとなります。そのため、当時の電車の本数では通勤需要を捌くことができません。小田急は通勤車両の増発を行います。上り下り1本ずつしかない線路に通勤車両を増やすということは、単純に線路が渋滞することを意味します。つまり、今までは快適に走れていた特急車両が前を走る通勤車両に行く手を阻まれてしまうのです。その結果、1972年以降はスピードダウンが始まります。そして、新宿小田原間は早くても69分かかってしまうようになりました。

  1957年・・・75分 

  1961年・・・64分

  1963年・・・62分

  1972年・・・69分 あっ…

 

 さて、それ以降は言うまでもありません。一度も60分を達成することなく2017年に至ります(2017年現在の最速は64分)。

 

 なんとなく諦めムードが漂っていますが、まだチャンスはあります。それは2018年度の複々線化完成によるダイヤ改正です。先ほどは上り下り1本ずつしかない時代だったので所要時間は増加しました。しかし、2018年3月以降は上り下りが都内において2本ずつになります。これならば再び60分の夢を目指してもいいのではないか、そんな空気が漂ってきますね!!

 

 次回は実際にダイヤグラムに基づいて、複々線化完了後の新宿小田原間60分が実現可能なのか、はたまた不可能なのか、考察してみたいと思います。

 

次回へ続く。